ルワンダからの学生レポート

8月

みなさんこんにちは!ルワンダ生活10か月目、8月は留学最後の月でした。ルワンダの空港に着くまで日本に帰国するという実感がなく、帰国した今はルワンダにいる友だちたちのことがとても恋しいです。帰国前にはサプライズでお別れ会をしてもらったり、お手紙やプレゼントをもらったり、忘れられない時間を過ごしました。
私は一緒に留学をしていた日本人留学生の友だちと、これまでの感謝の気持ちを込めて日本祭りを開催しました。日本食を振る舞い、ルワンダで感じたことや学んだことについてプレゼンテーションをし、最後に思い出の写真を集めた手作りビデオを見てもらいました。
今月はそのプレゼンテーションでも発表した、いくつかのことをご紹介したいと思います。

カルチャーショック

ルワンダに来て感じた日本と違うところをご紹介します。(ルワンダ人だけでなく、ブルンジ、コンゴ民主共和国、南スーダン、マラウイ、カメルーン等様々なアフリカ諸国からの学生と共に過ごし感じたものです。)

・距離の近さ
日本では挨拶をする時、お辞儀をしますが、ルワンダではハグまたは握手をします。また、異性の友人とも当たり前のように手を繋ぎます。最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました!

・時間の管理
授業やイベント、会議等なかなか時間どおりに始まりません。時と場合にも寄りますが、会議やイベントは1時間以上遅れてくる人が大半です。雨季には、雨が降っているとやむまで待つ人が多いため、遅れることがさらに増えます。また、レストランで注文をすると、食事の提供までに1時間かかります。時間の管理は全く慣れたくなかった文化のひとつですが、待たされるのが嫌で、イベント等には現場の情報を仕入れつつ、人が集まりだした頃にあえて遅れて行くようになりました、、。(みんながこの考えなので、どんどん開始が遅れているというのは明らかなのですが。)

・列を作らない
公共のバスに乗るときは、押し合いながら我先にと乗ります。電話会社のサービスセンターやバスのチケット売り場でも割り込みがとても多いです。
申し訳ないですが、押し返さなければ乗り損ねたり、買い損ねたり、いつまでも待たされることになるので、私は日本人の精神を早々に捨てました、。

・招待する時の原則
外食をする際、基本的に割り勘ではなく、誘った側が全額負担するというのが暗黙のルールとなっています。また、日本より家に人を招くことのハードルがとても低く、日常的に家で一緒に食事をすることがあります。
よく日本食を作って友だちに食べてもらったり、友だちが作るアフリカ各国のごはんに招待してもらったりと、楽しい時間を過ごすことができました。

好きなアフリカの文化

私の好きなアフリカの文化はなんでも共有する文化と他人をケアする文化です。
なんでも共有する文化のひとつに食べ物のシェアがあります。自分が食事をする時に他の人がいたら一緒に食べたり、飲み水を持っている人がいたら気を遣うことなく分けてもらうことができます。また、服やかばん等様々な所有物の貸し借りも日常的にあります。友人が訪問してきた時には、寮の自分のベットで一緒に寝ます。
他人をケアする文化というのは、家族や友人のことをとても大切にしており、日本では考えられないくらい遠い親戚の人とも、日常的に電話やビデオ通話をしている人もいます。また、日本では急用でなければ友だちに電話をかけないという人も多いと思いますが、”how are you doing?(調子はどう?)”を尋ねるためだけに電話をかけてくれます。

私はこれらのオープンなアフリカの思いやりの文化がとても好きでした。
また、これは文化ではないですが、国中に丘が広がっている緑豊かな景色や、1年を通して過ごしやすい気候も好きでした。

特に好きなアフリカの食べ物

・南スーダン人の友だちが作ってくれるごはん。
先月詳しく書きましたが、彼女たちが作るごはんは最高でした。

・サモサ、バナナ、アボカド
パリパリの皮でじゃがいもを包んだサモサは、クセになるおいしさです。バナナはとても甘く、大きかったです。アボカドも1つ10円〜20円ほどで手に入るので、毎日のように食べていました。

・アガトゴ
ルワンダの国民食のひとつで、トマトスープでモツ、食用バナナ、じゃがいもなどを煮込んだ料理。淡泊な味付けが多く、正直バラエティの少ないルワンダ料理の中で好きだった数少ないメニューです。

ルワンダ料理 アガトコ
特に印象に残っている思い出

・友だちの実家がある難民キャンプを訪問したこと。
ルワンダ南部にあるコンゴからの難民が暮らしているMugombwaキャンプ、東部にあるブルンジ、コンゴ、スーダン、エリトリアからの難民が暮らしているMahamaキャンプの2ヶ所に行きました。友だちの家族に会わせてくれたり、ごはんを作ってくれたり、温かくもてなしてくれたことがとても嬉しかったです。そこに住んでいる友だちがいなければ、キャンプの中に入ることはできなかったので、キャンプでの生活を教えてくれ、貴重な経験をさせてくれた友だちたちに心から感謝をしています。

・ウムチョニャンザでのボランティア
和解と生活向上を目指して活動しているウムチョニャンザで、10カ月ボランティアをさせていただきました。ジェノサイドから今年で30年経った今も、心に負った傷は癒えていないことをルワンダに来て実際に見て知り、それでもウムチョニャンザの女性たちは共に働き、お互いを支えあい、和解の道を日々歩み続けておられ、そんな皆さんから学んだことはたくさんありました。製品のひとつひとつに温もりがあって、かわいくて、オンラインショップで販売しているので、ぜひ「ウムチョニャンザ」と検索して覗いて見ていただけますと幸いです。ボランティア最後の日に、メンバーから温かいメッセージとトートバックをプレゼントしていただき、大切なものになりました。

ウムチョニャンザでのボランティア

・寮で10カ月間生活したこと
寮での生活は留学生活のハイライトとも言えるほど、とても濃い時間でした。
シャワーは水、洗濯は洗濯機などないので手洗い、冷蔵庫もない、部屋は自分のスペースはベットの上のみという、とても狭い4人部屋、誰かがスピーカーで音楽をがんがんにかけていたり、電話をしていたりで、初日はどうなることかと思いましたが、驚くほどすぐにその環境に適応することができました。
寮にいると友だちと、会話をする時間が自然とたくさんあり、色んな国の文化を知れたり、一緒に料理をして食べたり、みんなでトランプをしたり、歌を歌ったりと、毎日が本当に楽しかったです。

学んだ事

・アフリカの平和構築について、紛争について
授業で学問的に学び、クラスメイトの意見からも新しい視点をたくさん得ました。授業ごとの感想は各月のレポートに書きましたが、その中でも1番印象深かったのは、4月に受けた “Reconciliation in Theory and Practice”(理論と実践における和解)という授業です。色々な文献、講義、ディスカッション、ゲストスピーカーの方のお話から、和解についての理解が深まりました。
また、クラスメイトが語る紛争の話から、紛争は今も続いていて、たくさんの人が犠牲になっているということを、改めて強く実感させられました。

・生活の現実
「アフリカのシンガポール」とも呼ばれるルワンダですが、留学中ルワンダ国内、様々なエリアを訪問させていただく機会に恵まれ、首都キガリとその他の地域の格差を感じました。首都はまるで日本のようにビルが並び、道はとても綺麗に舗装され、クリスマスシーズンにはイルミネーションがあったりときらびやかな様子です。
一方で、国のほとんどを占める農村部の生活は、首都の生活と大きくかけ離れていました。関わらせていただいていた、ルワンダ東部のITETERO BRIGHT ACADEMYという学校の創設者の方の家に2泊させていただきました。そこは一般的な家庭には水道がないようなエリアで、その家にも水道はありませんでした。井戸から汲んできた水を使った生活だったので、シャワーをする時も少しの水で行わなければならず、水が十分にない生活の大変さを痛感しました。
また、2ヶ月間のインターンでは、日本人の私1人では決していけないような、僻地のフィールドへ何度も連れて行っていただき、そこに暮らす人々の生活の厳しさを目の当たりにしました。ルワンダに行き、様々な知り合いや友だちができたからこそ知ることができた、生活の現実がありました。

この留学生活を通して、もっとアフリカのことを知りたい、アフリカに戻ってきたいという思いが強く芽生えました。そこには、ルワンダでできた、アフリカ各地からの友だちたちの存在がとても大きくあります。今も終わらない紛争などの影響を受け、私には想像しきれないような大変な過去があったり、今も続いている人もいますが、それでも平和を願い、強く今を生きる彼らの姿にたくさんの刺激を受けました。
再会できる日を楽しみに、将来のために今やるべきこと、できることに真摯に向き合いたいと思います。
毎月読んでいただき、ありがとうございました。

©結城花菜

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