ルワンダからの学生レポート

4月

みなさんこんにちは!ルワンダ生活6カ月目、日々があっという間のように感じられ、もう4月が終わるのが信じられません。4月のルワンダはジェノサイドの追悼期間で、実際にジェノサイドを経験した方からの話を聞いたり、PIASS大学の授業で学んだり、ルワンダに留学に来たからこそ得られた経験や感じられたことがたくさんありました。

ジェノサイド追悼期間

1994年4月にルワンダで始まったジェノサイド(大虐殺)から、30周年の追悼期間を過ごしている。
1990年代の内戦とジェノサイドによりルワンダでは100万人以上が犠牲になった。1994年4月6日、当時の大統領ハビャリマナ暗殺事件をきっかけに、旧フツ政権がフツ系住民を動員し、トゥチ系住民に対する大虐殺を行った。トゥチやフツというのはルワンダの人口を構成する民族集団で、もともとは生活スタイルや牛(当時の富の象徴)の所有数の違いで分けられていたのだが、植民地宗主国によって不自然な形で固定されていった。トゥチは人口の約15%、フツは約84%、そしてトゥワは約1%とされており、宗主国側が現地支配のためにトゥチを支配階級として選び、社会的に下層とされたフツとの間に軋轢が生まれていった。
昨年からの、追悼週間によって経済活動が制限されることないようにという政府の方針の変更により、以前と比べて集会の回数は減っているようだ。4月7日にPIASS大学で、4月30日には私が住んでいるセクターで追悼集会が開かれた。セクターの集会では、当時の生々しい経験を歌った歌や生存者が証言をしている最中に、過去を思い出し涙を流す人や、パニック状態になってしまった人も見受けられ、30年が経った今でも残るその傷の深さを体感した。

授業

“Reconciliation in Theory and Practice”(理論と実践における和解)という授業を受講した。この授業が始まるまで、「赦し」や「和解」をただ言葉のひとつとして捉えていて、その本質を理解していなかったとともに、心からの赦しや和解は可能なのかと、少し疑いの気持ちもあった。そしてもし、自分の家族や大切な人が殺されてしまったら相手を恨み、復讐することを考えてしまうのではないかと思っていた。
ムランビジェノサイド記念館を訪れた時、一番強く感じたのは恐れだった。ルワンダで平和と紛争について、そしてジェノサイドについても学んできたけれど、実際に犠牲になった方々の遺体がそのまま、そしてたくさん置かれているのを見て、その痛みは想像を遥かに超えていた。言葉を失った。口が開いたままの遺骨も多く、苦しみと恐怖の声が聞こえてくる気がした。これまで生活に必要な様々なものを共有し、助け合って生きてきた隣人が、敵となり虐殺が彼らの手で行われたのにも関わらず、今も同じコミュニティの中で共に生活している彼らがどのような道のりを辿ってきたのか、この痛ましい傷跡を見てより学びたいと感じた。
「赦しと和解」についてウムチョニャンザの女性から話を聞いた。ウムチョニャンザは和解と生活向上を目指して2015年から活動している、14名の女性グループある。ジェノサイドの時の被害者側の女性は、自分を傷つけ、家族を殺した人のことを簡単には赦せず、またジェノサイド以前から付き合いがあった家族の女性の夫が加害者の1人であった。2人が歩んだ和解への道は長かったが、ウムチョニャンザの前身となる活動から現在の活動、そしてそこで出会った人々の支えも、2人の和解のプロセスに貢献したと思う。被害者側の女性は赦したことによって、これまでフツやツチといった民族アイデンティティに縛られていたり、心の負担になっていたりしたものから解かれ、平和・安全・安心そして調和が与えられたようだったと話していた。加害者側、被害者側という壁を乗り越えて、関係を再構築し、共にウムチョニャンザの工房で活動している女性たちは、抽象的な表現かもしれないが、和解の道のりの光や希望のような存在だと感じた。

ムランビジェノサイド記念館

また、授業中に印象に残ったことのひとつに、ルワンダのジェノサイドをツチ=加害者側、フツ=被害者側というシンプルな捉え方をするのには問題があるということだ。ツチの人だけが犠牲になったわけではないのだが、政府の方針により自分自身が受けた傷を話すことができず、癒されることなく今日の今日まで過ごしてきた人たちがいる。ジェノサイドの生存者には経済的・精神的なサポート等が提供されているのだが、加害者側とされる人々は例え彼らも被害者であったとしても、そういったサポートがほとんど提供されず、生活に格差が見られているそうだ。政府の方針に疑問を持ってもそれを口にしたり、その方針の中生活してきた人にとって、考えを柔軟にしたりすることは簡単ではない。それでも、この授業を通してそういった視点に触れ、客観的に何が起こったのかを知り、受け止め、考える機会を得られたことに感謝し、そういった視点を私も持っていたいと思った。
Restorative Justice(修復的正義)による和解プロジェクトの参加者のジェノサイド生存者、加害者側で元受益者の方々からの証言からは、ルワンダで何が起こったかはもちろん、プロジェクトがいかに和解のプロセスに貢献したのかを知ることができた。加害者側の人が自分のしてきたことに後悔し、謝罪をする中で、生存者の人のために家を建て、自分の働く姿をもって気持ちが生存者の人へ届いてゆき、赦すことができたと聞いた。赦しを求めることも、赦すこともどちらも決して簡単なことではないが、赦されたとき、赦すことができた時、辛い過去から前に進むことができる。赦すことは忘れることではないとも学んだ。もちろん受けた傷は残り、記憶もなくならない。それでも赦すことによって苦々しくて辛い記憶を止め、前に進むのだ。
最終日の授業では、このコースで学んできたことが繋がった。現在も紛争が続いている国から来ているクラスメイトたちの話、紛争で母を、父を、大切な人を失ったと。自分自身の辛い経験と、今回授業で学んだことを結び付け話してくれた。痛みや葛藤を乗り越えることはすぐには難しいし、1人では難しい。それでもきっと乗り越えられると思うし、それを心から願っている。
「和解はプロセスで長い旅である」
と授業で学んだ。時間がかかっても、どれだけ大変であっても赦しや癒し、和解はできるのだと、先生の講義、ゲストスピーカ―の方々のお話、そしてクラスメイトが教えてくれた。そして平和はユートピアでも夢でもなく、それを望む人たちによって、私たちによって、自分たちの手で着実に積み重ねて作っていくことができると確信した。
ルワンダに来てからの6カ月間、学んだり知ったりすればするほど、この地域の紛争の複雑さに直面し、自分にできることなどあるのかと思ってしまうこともあった。しかし、この授業を通じて改めて将来平和構築の分野で、アフリカで働きたいと思うことができ、その気持ちは今度こそ変わることないと思っている。
残りの留学生活4カ月で、どのように貢献できるのか具体的に考えたい。

©結城花菜

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