ルワンダからの学生レポート
2023年秋より、ルワンダのPIASS(プロテスタント人文社会科学大学)へ留学中の神戸市外国語大学3回生の結城花菜さんによる現地の最新レポートをぜひご覧ください。
ルワンダ基礎データ(外務省)
駐日ルワンダ共和国大使館ルワンダ情報
2023年12月 2024年1月 2月 4月 5月 6月 7月 8月
ルワンダより最新情報をお届けします
12月
みなさんこんにちは!日本はとても寒そうですが、ルワンダの日中は暑くて全くクリスマス気分ではありません。この文章を書いている12月15日時点では、住んでいる町フイエに、クリスマスの装飾や音楽もありません。他のアフリカの国から来ている友人たちですら、ルワンダではクリスマスを感じられないと言っていました!生活にも慣れ、授業がない日にたくさん出かけたので、その報告をしたいと思います。
【訪れた場所】
Ethnographic Museum Huye
(11月17日)
フイエにある民俗博物館で、展示が6つのパートに分かれており、地形や気候土壌に関すること、動物、人口に関すること、衣服、武器、狩りに関すること、住居、調理器具(ナイフなど)、楽器などが展示されていた。現地語(キニアルワンダ語)・英語・フランス語で解説が書かれてありとても分かりやすかった。
自然にある植物を編んで作った住居や衣服、籠のクオリティの高さに驚いた。動物の牙から作った楽器や皮で作ったマット、無駄にしている部分がないことにも知恵を感じた。
映画鑑賞
(11月17日)
PIASS大学のそばにあるCatholic University of Rwandaで、ベルギー大使館主催の映画の上映があった(無料)。ルワンダを最初に植民地化したのはドイツであるが、第一次世界大戦中の1916年にベルギーが宗主国となった歴史がある。
1時間ほどのドキュメンタリー映画で、タイトルは”Metis, Belgium’s Stolen Children” 。Metis(メティス)とは、植民地時代にベルギー人の父親とルワンダ、ブルンジ、コンゴ人の母親の元に生まれた子どものことである。ベルギー統治下のアフリカ諸国ではカトリック教会の影響が強く、異人種間結婚に否定的であった。そういった子どもたちは、家族と引き離されベルギーに連れて行かれたのだ。アイデンティティを失い、自分をベルギーに送り出した母親に対する懐疑の念を抱きながらベルギーで生活した子ども、従わなければならない状況でどうすることもできず辛い思いをした母親、両者の苦しみや失ったものの大きさを感じた。印象的であったのは、大人になって再会をした時に当事者が感じたことだ。「そこにあったのは尊敬の気持ち。愛は相手を理解することによって後から生まれた。」そう発言した当事者の男性は現在ルワンダに戻ってきて、高齢の母親との時間を大切に過ごしているそうだが、ルワンダには帰らずヨーロッパで生活をしている人も多いそうだ。
会場には当事者である親子、ベルギー大使館の職員、映画作成者、そして学生が集まった。もちろんあってはならないことではあるが、ベルギーがこの事実を隠さず、映画として上映し伝えたことに意味を感じた。そしてこれは日本では考えられないことだとも感じた。
キガリジェノサイドメモリアル
(11月22日)
1994年にルワンダで起こった大虐殺を記録する記念館で、首都のキガリにある。文章での解説の他、写真や遺骨、遺留品などの展示があった。特に印象的だった展示は、犠牲となった子どもの写真とプロフィールが展示されているコーナーだった。好きな食べ物や好きなおもちゃが書かれており、彼らの日常が、これからの未来が奪われてしまったことが伝わってきた。ジェノサイド時、新しいツチの世代を生み出さないためにと、女性や子どもが特に虐殺のターゲットとなったそうだ。80%のルワンダの子どもが1994年に家族の死を経験、70%が誰かが殺されたり傷つけられるのを目撃、90%が自分が死ぬと感じたという調査結果が展示されていた。29年経った今でもトラウマを抱えている人が多くおり、トラウマヒーリングの必要性を改めて感じた。
MUGOMBWA REFUGEE CAMP
(11月23日)
クラスメイトのお兄さんの結婚式に招待してもらい、彼の実家がある難民キャンプに行った。バスに揺られ、舗装されていない道を40~50分ほどかけて行った(バス代片道約100円)。クラスメイトの何人かはここの難民キャンプ出身だそう。キャンプの中は8つのセクターに分かれており、小屋のような小さな家が密集していた。売店や病院、学校があり、一つの町のようだった。小学校の中を見学させてもらうと、室内の教室の他に、半屋外の教室もあり、教室が足りないほどたくさんの子どもたちがここに通っていると知った。日本人が珍しいようでたくさんの子供たちが私たちの歩く後ろをついてきた。子どもたちは、破れたり黒ずんだ服を着ていてサンダルを履いていた。
結婚式は、家の中でご飯を食べただけで終わったが、食事の席は男女で分けられており、それは文化によるものだそうだ。また、さとうきびと生姜から作った天然のジュースや、とうもろこしが材料のモロコシビールも飲んだ。これまでに味わったことのない味がして、正直に言うとあまり好きにはなれなかった。
当日まで会ったこともなかった私を招待しもてなしてくれた、クラスメイトの親戚やその友人たちの温かさに感謝している。
King Palace Museum
(11月26日)
私が住んでいるフイエから、バスで1時間ほどのニャンザという町にある王宮に行った。外国人学生ということで、ガイド付で4000ルワンダフラン(約460円)で見学することができた。王がいた一番大きな建物はわらぶき屋根でできており、想像よりも中が広く天井も高かった。入口と出口の使い分け(白い方から入り、赤い方から出る)、手を叩き王に知らせてから入ること、出る時は王に背を向けないようにすることなどいくつかの決まり事があったそうだ。昼間は取り外しのできる窓を開け、室内に光を入れ、夜はかまどで火をつけ室内を照らすそうだ。王のベッドは大きく、周りに物を収納する籠がいくつもあった。女性たちのためのスペースもあり、女性たちは歌や踊りをしたそうだ。王の建物の周りには16の建物があり、例えば未婚の女性が牛乳を、未婚の男性がビール造りを王のために任されており、それぞれの家があった。牛乳やビールの容器は、年齢によって異なり、注ぐためのじょうろのようなものや、ろうとのようなものもあった。
王に敬意を表す式典に必要不可欠な神聖なINYANBOという大きな角が特徴的な牛を見た。
一番最近の王宮は写真撮影が禁じられていた。1994年のジェノサイドの際に盗まれてしまったものが多いそうで、中に展示されていたものは本物とレプリカが混ざっていた。ベッドが盗まれたと聞きどのようにして運んだのかと驚いた。しかし、王が使ったというバスタブの現物があり、お風呂に入る習慣があったことにも驚いた。王がどのようにルワンダの土地を拡大していったのかを示すパネルや過去の写真からもルワンダという国の歴史を感じることができ大変興味深かった。
Itetero Bright Academy
(12月15日)
ルワンダ東部キヘレに位置するItetero Bright Academyという学校のクリスマスパーティーに招待していただき、訪問した。学校の創設者Joseph Dusabeさんは “WE HAVE A DREAM201countries 201dream with sustainable development goals ” という世界中のZ
世代、ミレニアム世代の夢を集めた本に、彼の夢を掲載している。
学校は2018年創設され、ナーサリーと小学校が合わさっている。ルワンダでも公立の学校の学費は無料で、私立は学費が高い。私立は少人数で、よい給料を払われモチベーションの高い教員、整った設備であるのに対し、公立は教員の数に対して子どもの数が多く、教育の質が低いそうだ。また、学費は無料であっても学用品を買う金銭的な余裕がなく、ドロップアウトしてしまう子どももいるそうだ。Josephさんはそのような貧困層の家庭の子供たちに向けて教育を提供しており、ルワンダの全ての地区(30地区)に学校を作ることが目標だそう。その目標の背景には彼自身の経験がある。ジェノサイドの影響でシングルマザーとなった母が、Joseph さんたち7人兄妹を育てることは簡単なことではなく、金銭的な理由で教育を受けることが難しかったそうだ。奨学金を受け大学までの教育を受けられた時、同じように脆弱な立場にある子どもたちのために働きたいと考えたそうだ。
学校には4人の先生に対して2歳から10歳の子ども約80人が通っていた。栄養不足のためか年齢の割にほとんどの子どもの背が低く、小柄であった。しかし、とても元気がよく、フレンドリーで、学校で勉強した英語を使って積極的に質問をしてくれた。「お父さんの名前は何ですか?」や「好きな飲み物は何ですか?」など面白い質問が多かった。資金集めなど課題がたくさんあるそうだが、ルワンダの子どものために奔走しているルワンダ人のJoseph さんから直接話を伺うこともでき、貴重な時間だった。
【活動】
“UMUCYO NYANZA(ウムチョ・ニャンザ)”という工房で、週に1度活動のお手伝いをさせていただいている。1994年にルワンダで起きたジェノサイドの被害者の女性たちと加害者を家族に持つ女性たち14人が、和解と共生、生活の向上の道をここで歩んでいて、キテンゲ(アフリカ布)を使ったトートバックやポーチ、服などを制作している。私がキニヤルワンダ語を話せないため、まだたくさんのコミュニケーションは取れていないが、毎週温かく迎えてくれ、和やかな時間を過ごしており、女性たちの技術や丁寧さ、仕事に対する誇りを日々感じている。彼女たちについてもう少し知ることができたら、また報告したい。
©結城花菜